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仏尊の話し「信仰」8
毘沙門天信仰

謙信公と毘沙門天図

毘沙門天信仰の起源は古く古代インドを経て中国、日本へと伝えられました。
日本に於いては、仏教伝来と共に伝えられました。
単独尊として祀られたのは飛鳥時代であると思われます。
歴史上の人物でも熱狂的信者が多くおりまして、古くは聖徳太子や坂上田村麻呂大将軍から
厚い信仰を受け彼らによって堂塔伽藍(どうとうがらん)が数多く建立されて行きました。

南北朝時代に活躍した楠木正成(くすのきまさしげ)等は大和の国(現在の奈良県)にある
信貴山の毘沙門天に祈願して生まれたので幼名を多聞丸と名乗っていた事は有名です。又、戦国時代には上杉謙信も毘沙門天を守護神としており、
ここまで見て来ますと毘沙門天は武運戦勝や破邪顕正(はじゃけんしょう)の性格を色濃く
残しております。

時代と共に七福神の一尊に数えられるようになり毘沙門天は福徳神として親しまれるように
なりました。毘沙門天は悪魔調伏の本尊として祀られますが、実は財宝を生じる神でも
あるのです。
その他、毘沙門天は鬼神や夜叉羅刹の総元締めなので鬼門の守護神として祀られる事も多く
あります。又、毘沙門天は妻の吉祥天と子供の善膩師童子(ぜんにしどうじ)の三尊として祀られ家族の守護神としても有名です。

毘沙門天を祀る有名な寺院では三大毘沙門と呼ばれる霊場があります。
奈良県の信貴山朝護孫子寺は聖徳太子によって開かれた毘沙門天の総本山霊場と
伝えられ、大変大きな寺院です。
京都の北方鞍馬寺は王城鎮護(都を守護する)の為に毘沙門天が祀られ、牛若丸や
天狗伝説でも有名な寺院です。
京都の山科に位置する毘沙門堂門跡は、比叡山を開いた最澄が本尊薬師如来の余り木で
彫ったと伝えられる毘沙門天が祀られる寺院です。
以上が三大毘沙門として有名ですが、東北地方にも岩手県平泉の達谷窟毘沙門堂は坂上田村麻呂が創建と伝えますし、花巻市の成島毘沙門堂は日本一巨大な毘沙門天として有名で。又、山形県には米沢市の塩野毘沙門堂など数多く霊場があります。

毘沙門天に祈願するときは「おんべいしらまんだやそわか」と真言を七回唱えて
祈願すると金運財宝のご利益や悪魔調伏のご利益があると伝えられます。


上杉謙信について
上杉謙信は戦国時代の有名な武将の一人で、謙信は越後国(現在の新潟県)に生まれ
幼名を虎千代と云い、後に景虎と名乗りました。
謙信は越後統一後、関東や北陸へ度々出陣して激戦を戦って参りましたが、
信濃国(現在の長野県)をめぐる武田信玄との戦いは戦国史上まれに見る激戦となりました
上杉謙信は義将と云われ、助けを求めてくる武将を救い続け我欲の戦いは一切しない
珍しい武将だったのですが、敗北は生涯一度もしなかった事でも戦国最強武将として
知られ、あの織田信長も謙信には歯が立たたなかったようです。

謙信は毘沙門天を暑く信仰しており、戦場にはいつも尊像を安置して戦い、毘沙門天の
旗印がなびいておりました。それ故、謙信は毘沙門天の化身と恐れられたのです。
のちに高野山に登り密教の灌頂と言う儀式を受け自ら密教僧としても祈りの日々を
送っていたのです。「謙信」と言うのは僧名です。
最後まで戦いの日々を送り続けた謙信ですが時間があれば常に毘沙門堂に篭り護摩を
焚いていたと伝えられます。
四十九年の激動の時代を生きた謙信の墓標は密教最大の聖地である高野山にあります。

| - | 10:33 AM | comments (0) | trackback (0) |
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