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仏尊の話し「信仰」12
仏舎利信仰
仏舎利を納めた仏舎利塔(ストゥーパ)の図

仏舎利とは釈迦の聖骨の事です。
舎利はサンスクリット語(古代インドの言葉)のシャリーラが語源とされ肉体を現すと
云われます。
釈迦が入滅して直ぐに弟子達によって荼毘にされ、その聖骨は塔を建てて安置されました。
しかし仏教が各地に広がりを見せた時代には聖骨をめぐる争いが勃発して聖骨は、争いを避ける為、八つに分けられ周辺国寺院の仏舎利塔に納められました。
しかし時代の流れと共に風化して行き、それから200年後にインド全土を統一した
アショーカ王は仏教に深く帰依して八つに分けられた仏舎利(聖骨)の発掘を行い、
七つの塔から聖骨を見つけ出しました。

アショーカ王はこの聖骨を84000個に分けて84000の寺院を建立して納めたと
伝えられます。この当時は仏像を作ると言うより仏教徒の帰依物は仏舎利(聖骨)を拝むのが多かったようです。

時代は変わり仏教が中国へ伝来して行くと中国から僧侶がインドに赴き、聖骨に見立てた
水晶や琥珀などの多くの宝石を小さな塔に入れて仏舎利塔の前で供養分霊し、
釈迦の聖骨(仏舎利)として中国に持ち帰り広めました。

日本には仏教伝来とほぼ同じくして仏舎利が伝えられたと記録に残ります。
日本に伝えられた仏舎利は中国の様式を真似て木造建築の塔に安置するようになった。
インドでの仏舎利塔はドーム型の建造物が主流ですが、中国、日本では何階にも重なった
塔(一般には五重塔)が主であります。

日本に伝えられた仏舎利は舎利容器に入れ五重塔の最下層に納められその上に塔が建立
されております。高くそびえる五重塔は釈迦そのものであり、遠くにからでも参拝が
出来たのです。
しかし現在は建造物の高層化が進み風情ある堂塔を見る事が出来なくなりつつあるようです

ちなみに法事などでお立てする卒塔婆の語源は仏舎利塔の「ストゥーパ」から来ているんですよ。

| - | 09:44 AM | comments (0) | trackback (0) |
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